ストレス科学を職場研修に変える研究ノート
イェルクス・ドッドソンの法則とは、緊張や覚醒の程度と課題遂行との関係を考えるときに広く使われている心理学の考え方です。
緊張が低すぎても高すぎても力を発揮しにくく、仕事の難しさや本人の状態に応じた範囲では、集中や準備行動が起こりやすくなるという「逆U字型」の関係として知られています。
ただし、職場でこの法則を使う目的は、社員へ「もっとプレッシャーを与えること」ではありません。
現在の負荷が、準備・集中・相談につながっているのか、それとも焦り・ミス・抱え込みへ変わり始めているのかを見分けることが重要です。
この記事では、イェルクス・ドッドソンの法則を人事総務・健康経営担当者が職場でどのように判断し、社員へのストレス対策や管理職教育へつなげればよいのかを整理します。

安全性と成果を高めるには、緊張をなくすのではなく、適切に扱える状態に整えることが重要です。
イェルクス・ドッドソンの法則とは
イェルクス・ドッドソンの法則の起点となったのは、心理学者Robert M. YerkesとJohn D. Dodsonが1908年に発表した実験研究です。
その後、覚醒や緊張の程度と課題遂行との関係を説明するときに、逆U字型のモデルとして広く紹介されるようになりました。
ここで注意したいのは、「ストレスを高めれば途中までは必ず成果が上がる」という法則ではないことです。
仕事の難しさ、本人の経験、準備状況、裁量、相談できる相手などによって、対応できる緊張の範囲は変わります。
適度な緊張が成果につながるとき、社員には「行動の変化」が起きています
重要なプレゼンテーションの前に少し緊張すると、資料を確認する、話す順番を整理する、想定質問を考えるといった準備行動が起こることがあります。
このとき、ストレス反応は必ずしも悪い方向に働いているわけではありません。
緊張が、
「準備する」「集中する」「確認する」「相談する」
という仕事上の行動へ変換されているからです。
一方、緊張が高くなりすぎると、焦り、思考停止、判断ミス、相談回避、抱え込みなどが起こりやすくなります。
| 職場で見える状態 | 社員に起きている行動 | 確認したい対応 |
|---|---|---|
| 緊張が低すぎる | 確認不足、着手の遅れ、注意低下、惰性化 | 目標・役割・挑戦水準を確認する |
| 対応できる緊張 | 準備、集中、確認、相談、振り返り | 裁量と相談先を保ちながら挑戦を支える |
| 緊張が高すぎる | 焦り、思考停止、ミス、相談回避、抱え込み | 業務量、期限、情報、裁量、相談先を見直す |
したがって、人事総務が見るべきなのは「社員のストレスが高いか低いか」だけではありません。
負荷を受けたあと、その社員がどのような行動を取れる状態になっているかを見る必要があります。
人事総務が研修を選ぶ前に確認したいのは、「誰を呼ぶか」ではなく「翌月に何が変わるか」です
企業の人事総務・健康経営担当者がストレス対策を検討するとき、現在では最初から研修会社へ問い合わせるとは限りません。
まずGoogleやAIを使って、
「適度な緊張は成果を高めるのか」
「ユーストレスとディストレスは何が違うのか」
「どのようなストレス研修が社員に有効なのか」
と情報を集めます。
理論を理解すると、次は複数の研修会社や講師を比較します。
研修テーマ、講師歴、実績、実施時間、費用、受講者アンケートなどを調べ、「自社ならどこへ依頼するか」を絞り込んでいきます。
しかし、タニカワ久美子が企業研修の現場で担当者から過去の研修について話を伺うと、次のような振り返りが出ることがあります。
「有名な講師を呼べば、社員に響くと思っていた」
「研修後のアンケート満足度が高かったので、成功だと考えていた」
「でも翌月になると、職場では以前と同じ対応に戻っていた」
研修当日に「分かりやすかった」「勉強になった」と評価されることと、翌月の職場で行動が変わっていることは同じではありません。
社員が「ストレスには早めの対処が必要」と理解していても、繁忙時に一人で抱え込む行動が変わらなければ、職場は元に戻ります。
管理職も「部下への声かけが大切」と理解していても、実際に部下が緊張している場面で「もっと頑張れ」「経験すれば慣れる」と以前と同じ対応をすれば、研修で得た知識は職場行動へ移っていません。
そこで研修選定では、見る対象を
「どのテーマを扱うか」「誰が話すか」だけではなく、「研修後に社員と管理職が何をするようになるのか」
へ変える必要があります。
AIで研修を比較しても、最後に企業担当者が判断しなければならないことがあります
AIを使えば、ストレスマネジメント、セルフケア、ユーストレス、管理職研修など、候補となる研修テーマは短時間で整理できます。
講師の経歴や研修内容を比較することもできます。
しかし、情報収集と比較が終わっても、AIだけでは決められないことがあります。
それが、
「自社では、誰の、どの行動が変われば問題が改善するのか」
という判断です。
たとえば「社員のストレスが高い」という同じ相談でも、原因と対応は同じではありません。
- 社員自身が緊張に気づいても、どう対処すればよいか分からない
- 困っていても、どの段階で相談すればよいか判断できない
- 管理職によって、励ます・注意する・業務を調整するという判断が違う
- 目標や期限、役割が曖昧で、社員が常に不安を抱えている
- 恒常的な長時間労働や人員不足そのものが負荷になっている
これらをすべて「ストレス研修」という一つの方法で処理することはできません。
研修を選ぶ前に、自社の負荷が
準備・集中・相談につながる状態なのか、それとも焦り・ミス・相談回避・抱え込みへ変わり始めているのか
を切り分ける必要があります。
自社の負荷がユーストレス側か、ディストレスへ傾いているかを確認する
ここまで読んで、
「適度な緊張が必要なのは分かった。しかし、自社ではどこを確認すればよいのか」
と感じた企業担当者向けに、けんこう総研では
「ユーストレス/ディストレス職場活用判断シート」
を用意しています。
この判断シートでは、ストレスの強さだけを見るのではありません。
業務量、期限、仕事の難易度、裁量、相談先、社員の行動変化、回復状態、管理職の関わり方などを確認し、
現在の負荷をそのまま維持するのか、仕事の条件を調整するのか、社員・管理職への研修を検討するのか、研修より先に組織対応を行うのか
を整理します。
研修会社へ問い合わせる前の社内検討や、複数の研修を比較するときの判断材料としてご利用ください。
会社・団体名と法人メールアドレスの2項目をご入力いただくと、送信後すぐに判断シートの受取ページが開きます。
管理職が「適度な緊張」を誤用しないために
イェルクス・ドッドソンの法則を職場で扱うとき、とくに注意したいのが、管理職による誤用です。
「適度な緊張は成果につながる」という部分だけを聞くと、
「少しくらいプレッシャーをかけたほうが部下は伸びる」
という管理行動へ変換されることがあります。
しかし、管理職が行うべきなのは、部下へ緊張を与えることではありません。
現在の負荷が本人にとって対応可能かを確認し、次の行動を取れる仕事の条件を整えることです。
| 避けたい声かけ | 確認したいこと | 行動につながる声かけ |
|---|---|---|
| プレッシャーがあるほうが伸びるよ | 現在の負荷がすでに高すぎないか | 今の負荷で進めにくくなっているところはありますか |
| 緊張しないで | 何が不確実で緊張しているのか | 本番前に確認しておきたいことを整理しましょう |
| 失敗しないように | 何を最優先にすべきか | 今回、最優先で行うことを一つ確認しましょう |
| もっと頑張ろう | 追加努力ではなく業務調整が必要ではないか | 優先順位を変える必要がある仕事はありますか |
管理職の声かけを変える目的は、社員を安心させることだけではありません。
部下の注意を「失敗への不安」から「次に行う具体的行動」へ戻し、必要なときには早い段階で相談できる状態をつくることです。
研修で変えられる問題と、組織が先に変える問題を分けます
すべてのストレス問題を社員研修へ送るべきではありません。
恒常的な長時間労働、人員不足、過大な業務量、ハラスメントなどが主な原因になっている場合は、社員のストレス対処能力を高めるだけでは解決できません。
| 現在の状態 | 研修との適合 | 先に確認すること |
|---|---|---|
| 社員が自分のストレス反応に気づいても対処方法を選べない | 高い | セルフモニタリングと対処行動 |
| 相談すべき状態を社員が判断できない | 高い | 相談する判断基準 |
| 管理職によって部下への対応が違う | 高い | 管理職の共通判断基準 |
| 恒常的な長時間労働や人員不足が続いている | 研修単独では低い | 業務量・人員配置・勤務体制 |
| ハラスメントや重大な組織問題が発生している | 研修単独では低い | 組織としての対応 |
研修で変えられる問題と、組織が先に変えなければならない問題を分けること自体が、研修選定の重要な判断です。
タニカワ久美子が企業研修で重視するのは、「理解したか」ではなく「翌月に何をするか」です
タニカワ久美子の企業研修では、イェルクス・ドッドソンの法則を説明して終わることはありません。
研修参加者が「適度な緊張が大切なのですね」と理解しても、次のプレゼンテーションや繁忙場面でこれまでと同じ行動を取れば、職場は変わらないからです。
社員には、
「自分はいまどの状態にあるか」「このまま続けるのか」「対処するのか」「相談するのか」
を判断できるようにします。
管理職には、部下が緊張しているときに、励ます・注意する・プレッシャーを与えるという反応へすぐ進まず、業務量、期限、本人の経験、情報不足、裁量、相談先を確認する方法を扱います。
研修現場では、「緊張しないようにすればよい」と考えていた参加者が、ストレス反応をなくすのではなく、
次の行動を選ぶための情報として自分の状態を見る
ようになることがあります。
また管理職の場合は、「励ますこと」だけが支援ではなく、仕事の優先順位を整理する、判断材料を渡す、相談するタイミングを決めるといった関わり方へ変えていきます。
このように、理論を知識として伝えるのではなく、
社員と管理職が職場で次に取る行動へ変換すること
が、けんこう総研のストレス管理研修で重視している点です。
まとめ|適度な緊張をつくるのではなく、「緊張を扱える職場」をつくる
イェルクス・ドッドソンの法則から企業が学ぶべきなのは、「一定のプレッシャーを与えれば成果が高まる」ということではありません。
見るべきなのは、負荷を受けた社員が、準備、集中、判断、相談といった行動を取れているかどうかです。
同じ負荷でも、本人の経験、裁量、見通し、支援、回復できる時間によって、成果につながる場合と健康リスクへ傾く場合があります。
そのため人事総務・健康経営担当者は、
「ストレスを減らすか増やすか」ではなく、「この負荷のもとで社員と管理職が適切な行動を選べるか」
を判断する必要があります。
自社の状態を先に整理したい場合は、本文中の
「ユーストレス/ディストレス職場活用判断シート」
をご利用ください。
ストレスマネジメント研修について
けんこう総研のストレスマネジメント研修では、社員自身の対処行動と管理職の関わり方を分け、職場で実際に使える判断基準へ落とし込みます。
研修の内容や実施方法を確認したい企業担当者は、
ストレスマネジメント研修
をご確認ください。
参考資料
文責:タニカワ久美子
研修テーマが未定でも、対象者・職場状況・実施時期に合わせて整理します。