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タニカワ久美子の講演スピーチ

タニカワ久美子のキャリアパス&リカレント

2024年12月27日更新

こんにちは。けんこう総研代表のタニカワ久美子です。今日は、年末年始にかけて特別企画として「タニカワ久美子のキャリアパス&リカレント」というテーマで、私自身の歩みや考え方をブログを通じてお届けしていきます。

タニカワ久美子講演セミナー講師

けんこう総研」代表タニカワ久美子が、自身のキャリアパスとリカレント教育の重要性を綴る特別企画ブログ。早熟な身体成長、苦い小学校時代、運動嫌いの背景を振り返りながら、人生の転機と成長を明らかにします。次回、中高時代の多感な経験もお楽しみに!


けんこう総研の成り立ちや、私のこれまでのキャリア、そしてリカレント教育(生涯学び直し)の重要性についてお伝えすることで、けんこう総研の活動をより深く理解していただければと思っています。また、このブログを通じて私、タニカワ久美子という人間を知っていただき身近な存在になっていただけることを願っています。それでは、タニカワ久美子物語をお楽しみください。


早熟な身体成長と幼児期

 

私、タニカワ久美子がここまでに至った道のりについて、幼児期からお話ししたいと思います。私は早熟な身体成長により、幼稚園では園で1番か2番に背が高い子どもでした。しかし、小学校高学年になると身長は止まり、今度は体重が増加し、横にも大きい女子へと変わっていきました。


小学校時代の苦い思い出

ふつう背が高い生徒はかけっこが早くリレーの選手であったりするのが昭和では常でした。だから背の順番からおこなう徒競走は、決まってびり。クラス全員参加のクラス対抗リレーは、私が出場することでクラスの成績は悪くなる、お前はでないほうがよい、「どんくさい」と言われ運動会はズル休みをしました。コンプライアンスがこれだけ叫ばれている今なら信じられない時代でした。

とにかく、体が大きく目立つにもかかわらず、運動音痴でした。だけど団体競技が苦手で、球技は不得手だったというだけで、今思えば、体を動かすこと自体は好きだから運動が嫌いだったわけではないのです。社会人になってからは、アマチュアのクラシックバレリーナになったり、今では3度の飯よりスキーが大好きなのですから!


周囲のプレッシャーと連帯責任の重圧

でも症学校当時は、周囲の意地悪なヤジや、担任の先生さえもクラスの士気を高めるためか、できない私のために連帯責任を課していました。私の所属する班の子たち全員がお残りになり、鉄棒の逆上がりや跳び箱の練習を放課後に行った記憶が今でも残っています。

そんな私が、40歳を過ぎてから10年以上もの間、専門学校で健康運動実技を朝から夕方まで毎週2日間教えていたのです。まったく人生、どこえどうなるかなんてわからないものですね。


体育嫌いの背景とその後の気づき

今思うと、私が連帯責任を負わされるという重圧=体育が嫌いだったのであって、決して運動自体が嫌いだったわけではなかったのです。そして体育の授業で行う内容の大半が球技で、ドッチボールやバスケットボールのようなポートボールが中心でした。ドッチボールでは「どんくさい」「動作が鈍い」と標的にされ、体にボールが当たるのが泣きたいほど嫌でした。

それなのに、夏休みになると住んでいる地区別ドッチボール大会がありました。誰もが出たくないこの学外の学校行事に、私は大人しくて「NO」と言えない子供だったため、毎年メンバーにされてしまいました。このことを思い出すだけでも、今でもぞっとします。


暗い小学校時代と家庭環境

ほんとうに暗い小学校時代でした。家庭もいわゆる「鍵っ子」と呼ばれる状況で、母親もパートで働いていたため、学校が終わって家に帰っても誰もいない寂しい毎日でした。

当時の私は、身体的にも、経済的にも、決して恵まれていない小学校生活を送っていました。

明日の予告

明日のブログでは、中学校、高校、大学に入るまでのことを書きます。暗い幼児期時代をどう乗り越え、多感な中高時代に突入したかをお楽しみに。

最後までお読みいただきありがとうございました。このブログを通じて、私たちの活動や私自身の人柄について少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。来年もけんこう総研をどうぞよろしくお願いいたします。

それでは、明日のブログでまたお会いしましょう!

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